2012-11-03

祈りの生活

祈りは大切な心の生き方です。しかし、わたしたちは、命であり、すべてであるはずの祈りを忘れがちになります。キリスト教の伝承の中で、主に三つの祈りの表現方法が守られてきました。それは、口禱、黙想、念禱です。どの祈りにも共通している基本的な特徴は潜心、つまり、精神を祈りの対象である神に集中させることです。

1.口 禱

祈りが聞き入れられるかどうかは、言葉の数によるのではなく、わたしたちの魂の情熱によります。わたしたちは身体と心から成り立っていますが、わたしたちの思いを外に向けて表現する必要があります。それは神が要求されることと一致するのです。神が望まれるのは、外への表現方法において、身体と内なる祈りが一つになっていることです。そして、わたしたちが語りかけるべき神を意識することによって、祈りはわたしたちの心の奥深くにとどまるのです。

2.黙 想

黙想とは探究することにほかなりません。主が求めておられることに忠実に従い、答えるために、わたしたちの心はキリスト者としての生活に「なぜ」と「どのように」を理解しようとするのです。そのために、通常、多くの書物や聖典、聖なるイコン、教会の典礼、聖人たちの書き物、霊性の働きによる作品、そして創造と人類の救いの歴史を物語る偉大な聖書の助けを借りることになります。

わたしたちが謙虚で、信仰心にあふれていれば、黙想の間に心を揺さぶるものがあることに気づき、それをはっきり認識することができるようになります。大切なことは、聖霊に導かれ、イエス・キリストに向かう祈りの道を進んでいくことです。

黙想には、思考、想像、感情、そして願望が必要です。そしてキリスト者の祈りは、キリストの神秘を黙想することにほかなりません。

3. 念 禱

聖テレジアはこう言っています。「わたしが思うに、念禱とは友同士の親密なる分かち合い以外の何物でもなく、すでにわたしたちを愛してくださっている、その方とともにいる時間を多く持つことです」と。

わたしは主を見つめます。主もわたしを見てくださいます。

1.念禱は信仰によってイエス様をじっと見つめることです。

2.念禱は神さまの言葉に耳を傾けることです。

3.念禱は沈黙のうちに行われます。

この祈りの言葉はスピーチのようなものであってはなりません。魂に愛の火をつけるものでなければなりません。肉体的に耐えるのは苦痛かもしれませんが、この沈黙の中で、父なる神はわたしたちに、人となり、苦しみを受け、死に、そしてよみがえった神の御一人子イエスを通じて私達に語りかけます。そして、この沈黙の中で、イエス様の祈りを分かち合うことができるのです。