2013年1月20日 主の公現後第2主日

今日の福音は、イエスの最初のしるしについて語られていますが、主のご公現や主の洗礼同様、これは神の子としての主の栄光を世に表したものです。

「そして3日目、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。」

そしてここで初めて、神の恵みすべての仲介者として、聖母マリアが母親の役割をになっているのを見ることができます。カナでのしるしは確実にうまくいきました。それは、イエスにその時を期待させるほど、マリアの取りなしに威力があったからです。

ですから、「わたしの時はまだ来ていません」とイエスが答えても、主の母であり、神の恵みあふる母マリアは、イエスの明確な拒絶に戸惑うこともなく、また自分の要求を押しつけることもしませんでした。ただ、召し使いに「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言ったのです。マリアのへりくだった態度、他への思慮深さ、信仰、そして信頼して身をゆだねることがイエスに勝りました。そしてイエスは、その神聖な心を上回るマリアの力の偉大さを私たちに示すために、マリアの願いを聞き入れました。

マリアの取り次ぎの力はそれほど偉大なのです。

神の子の母となることに同意したことで、マリアは人としてのイエスと深い絆を持っただけでなく、イエスの働きとも深い絆を持つことになります。

人類を救うために救い主が世に来ることをマリアは知っていました。そこで、その母となることに同意したとき、救い主としての使命の最も近しい協力者となることにも同意しました。事実、神の恵みすべてのみなもとであるイエスを私たちに与えたことによって、聖母マリアは、私たちの魂に神の恵みを、最も効果的に、さらに直接的に広めることに協力したのです。

もしイエスが私たちの魂の父であるなら、マリアは私たちにイエスをもたらした母であり、私たちに真実の命を与えました。

一人の女性としてイブは神の恵みを失うことに手を貸しましたが、神の摂理によって、もう一人の女性であるマリアは、神の恵みの回復に力を貸すこととなりました。確かに神の恵みのすべては、恵みの唯一の源であり、唯一救い主であるイエスから来ますが、マリアがイエスを世に送り、その命と働きのすべてと深く関わったことで、神の恵みはマリアからももたらされているということができます。イエスはマリアを通して私たちのところに来られることを意図されたので、神の恵みと超自然の命のすべては、マリアを通してもたらされたことになるのです。

聖母マリアは私たちの聖母であり、イエスをもたらせたと同時に、わたしたちを恵みの命へと導いたのです。

「水がぶどう酒になりました」

私たちの魂に、神の恵みという手段によって、イエスが完成された素晴らしい変化を見ることができます。取るに足りないような私たちの人間性である水が、神の神聖さをともに受けるものとなり、キリストご自身の命である聖なるぶどう酒に変えられました。そして人はキリストの一員となり、神のご意志に沿う子供、聖霊のおわします所となったのです。そして今日、聖母は私たちに、どのようにすればこの貴重な変化を育むことができ、またどのように育んでいかなければならないかを教えています。

聖母はカナの婚礼でかつて召し使いに言ったように、私たちにこう言っています。「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください。」マリアはこの言葉によって、私たちがキリストの内に変わるよう招いています。それは、イエスが教え命ずることすべてを、苦労を惜しまず実行することによって効果をもたらすのです。

ですからみなさん、つつましく、従順な心と、いきいきとした信仰を持ち、自我を捨てて、マリアの御手をとおしてイエスに私たちの身をゆだねましょう。

アーメン